【19】日本のデジタル戦略を考える―日米デジタルテクノロジーのエコシステムづくりの前提へー

中国のデジタルテクノロジー戦略に対する米国の態度と戦略

 5G、AIについての米国の態度を確かめてきた。また、これらテクノロジーの導入を自国の世界覇権を達成するための武器(手段)とした中国の戦略を確かめた。中国の戦略のベースとなったのはMLP「国家中期科学技術開発プログラム」[1]で、これは2006年に導入し、2007年に正式に第17党大会で承認されている。この後、中国共産党はこの実現のために高度に発展した戦略をたてた。これらの内容の一部には米国(西側)より情報戦で合法的・非合法的にこれらを抽出、学び、ついには自らのものとしてイノベートさせる、がある。また、高度としたのは彼らが行った情報戦だけをさすのでなく、政府(CCP)と中国企業の緊密な関係を深めるための「規格と特許」推進計画、あるいはさまざまな補助システム、そして国家情報法といったものを含めてのことである。本報告書では取り上げなかったが中国人民解放軍(PLA)と同企業との軍民協力もこれらに含まれる。

本報告書では、デジタルテクノロジーはかつての蒸気機関や電気と同じ汎用技術であり、時間をかけてであるが、人間は経済、社会、産業、教育、安全保障・研究の全てに関して種々の関連技術やプロダクト・アプリケーションを発展・開発させる。そして、これは確実に既存の組織、国家、ひいては世界、更には時代そのものを変容させるのである。更に、これらは未来でのことではなく「既に起きた未来」でもあることも確かめた。このテクノロジー抽出戦略は中国に発展をもたらし、ついには米国とその経済、安全保障、そしてデジタルテクノロジーで覇権を競いだしたことも確かめた。

この中で、中国に対して長い間エンゲージメント政策を執っていた米国は、この政策の失敗を認め、新たな政策を指向しだした。

 

トゥキディデスの罠、キンドルバーガーの罠

 現在の米国は、かつてスプートニクの打ち上げで一挙に旧ソ連への科学技術(そしてその体制)への恐れが生じ、いわゆるスプートニク症候群の中にあったこともあるが、現在、その状態にちかい。その一方、間違いなく現在の米国では感情論だけではなく、どう理性的に対応すれば良いかの議論が各界の識者(ソートリーダー)の間では出ている。具体的には、前章で引用したハーバード大のアリソン(Graham Allison)が提唱したトゥキディデスの罠を巡る議論であり、また、他は彼の同僚のナイ(Joseph Nye)が提唱したキンドルバーガーの罠を巡るものである。

トゥキディデスの罠では、アリソンは古代ギリシアでのペロポネソス戦争に従事したトゥキディデス将軍がこの戦争の原因を既存の覇権国家スパルタが台頭してきたアテネの脅威を過大に評価しすぎたことにある、とした。また、アリソンは、今回の覇権国家米国が台頭してきた中国の脅威を過大に評価しすぎることを防ぐためにも、中国の台頭をもたらしたAI等のデジタルテクノロジーの状況をもとに、如何に危機を避けるかを議論している。なお、これらを行ったのは、アリソンだけでなく、NYタイムズのサンガーをはじめASG(アスペン研究所の戦略グループ)での議論がでており、この後に彼らの態度、そして戦略の方向性に触れる。

さらに、キンドルバーガーの罠という他の課題もあることをアリソンのハーバード大の同僚ナイが提唱した。彼は、上記のようにASGの議長であるが、幾つかの米政権の高官を経験し、ソフトパワーの概念を提唱したことでも知られている。彼もアリソンと同様に、デジタル、あるいは中国のデジタル事情を学び、米中関係の危機をどう防ぐかを考察している。

話を戻すが、キンドルバーガーは、1950年代に活躍しMITで世界経済学を教えた。彼は1930年代に米国に端を発した世界大恐慌(危機)の原因を、大意「それまでの覇権国であった英国が(第一次世界大戦で)疲弊し、米国がそれを凌ぐ世界の覇権国となっていたが、それまでの世界規格・公共財を利用することには長けたが、本来覇権国家としてやるべき新たな世界秩序に合わせた国際規格・公共財づくりには無関心で、自らの孤立主義を貫いていたことにある」、とした。ナイの論点は「仮に中国が既に世界の覇権国家の力を有しているなら、それに伴う新たな秩序(国際規格・公共財)づくりをすべきだが、それを行わなくタダ乗りをし続ける」ことがあれば、これも世界に危機をもたらす、である。要は、中国を正確に評価する、である。

 

本報告書では、これ以上立ち入らないが、3点だけ、米国で行われだした議論の内容を注にまとめておこう。最初は、ナイが見る中国の強さと、弱さである。習主席は2017年のダボス会議を始め、多くの機会をとらえ中国のシステムの優位性を説き、また中国が果たしてきた世界への役割を説いているが、第二の注は、米国(多分世界の多く)の識者(ソートリーダー)の中国への見方で、ここでは中国の言い分とは違うという意味で「別な見方」とした第三は、やはり米国の識者が見た中国が行ってきたとする国際貢献の実態、ここでも中国のこれまでの貢献を過小評価するつもりはないが「タダ乗り」とした。後者については、一部ではシャープパワーといった批判もでだしている[2]

 

注1:ナイは、中国の強さと弱さを見定めている。以下で示すのはその一部

中国の強さ

  • 市場経済規模…米国はかつて世界最大の貿易国であったが、現在、米国を最大の貿易国としているのは57カ国、一方、中国は100カ国近くある
  • 市場規模…中国は市場の規模に付け加え海外からの投資と開発支援から経済力を獲得できる
  • 対外援助…米国は削減傾向にあるが、中国はその逆。今後10年間で一帯一路構想(BRI)のもと関係諸国に1兆ドルの貸し付[3]
  • 中国的体質…独裁政治と重商主義の慣行で政府は経済力を即利用できる[4]
  • ビッグデータ時代のサウジアラビアの可能性…米国と並ぶ巨大インターネットが存在、また、豊かなデータリソース(データは新資源)

中国の弱さ

  • PPP(購買力平価)への疑問…PPPベースで中国経済は2014年に米経済よりも大きくなったが、これは、あくまで購買力平価での目安で、現在の為替レートでは中国は米国の約3分の2
  • 一人当たり所得…米の一人当たりの所得では、中国の何倍かのレベル
  • ソフトパワー…中国が2030年から世紀半ばまでに、世界最大の経済として米国を追い抜くと考えられている。ただ、経済力も国力の方程式の一部に過ぎず、中国はソフトパワー指数では米国に大きく遅れている(米国は1位だが、中国は26位…日本はこの年、スウェーデン等を抜き6位)[5]…比較としてナイは1960年代の「毛沢東思想」の方が現下の「習近平思想」より、国境を越えてのインパクトは大(一方、現在の中国に対してはシャープパワーという批判がでている)
  • 中国限界説…経済成長率の低迷、人口の減少、老齢化等が2049年(建国100周年)まで進む[6]

 

注2:別な見方

 現下の中国にはAI関係のユニコーンが多く出ている。一方の見方では、今後も続くであり、他方はバブルと見ている(ここでは後者を特に取り上げる)

  • ユニコーンの評価はバブルか:中国のユニコーンの評価額…センスタイムは75億ドル(8,220億円)、YITU テクノロジー(依図網絡科技)とクラウドウォークテクノロジー(雲従科技)は夫々20億ドル(2,190億円)、メグビー(曠視科技)は約40億ドル(4,380億円)と巨額。
  • これをバブルとする根拠…「Red AI」の著者のシャン(Nina Xian)は現在の評価額はバブルで下方修正が必要とした。MITテクノロジーのナイト(Will Knight)[7]も彼女の見方に賛成。これまで中国のAI企業の収益をあげてきたが、この理由は、中国政府(や地方の政府)機関からの官製のプロジェクトの発注。
  • もちろん、中国のAI企業も新分野への応用を模索…たとえば、メグビーは物流や製造業向けシステム開発、YITUは医用画像処理と文字認識、センスタイムは自動運転への応用を試みてきた。が、問題はそれらの「実用性は未知数」…つまり、各社とも内容を発表していない。
  • 上記ナイトは、香港WeBankのAIの担当者のヤン(楊強)[8]の「ビジネスの現場でAIを実用化するには、より高度なスキルが必要」、「企業の現場でのAIには、どう使いこなせば良いかだけでなく、高品質なデータ収集手法、それにまつわる問題を既存のビジネスに組み込んで行く方法を考える必要」があり、これら企業は「これらをクリアするのは難関」とした。
  • 彼らによると、これら企業の技術実態は「見かけ倒し」で内容に乏しい…グーグル、フェースブック、アマゾン等の米大手AI企業は、いずれも広告や電子商取引、ソフトウェア販売といった既存事業で十分に収益を上げ、それが彼らのAI開発を支えとなっている。一方、中国は豊富な資金を有するAI企業は珍しい。もちろん、中国にもアリババ等の資金を有するAI企業も存在するが、殆どは自らをAIベンチャーとして売り込もうとする企業で溢れている…スタンフォード大学教授のグロット(Andrew Grotto)は、中国のAIユニコーンは大きな課題に直面しているという分析(筆者もこれらの見方に同意)。
  • 中国のAI産業を巡る以上の騒ぎの一因が米国の輸出規制にあったとすれば)中国政府の誤算か(?)…米中の貿易交渉が妥結するかどうかは別として、両国の関係がより不安定化したのは確実。先のグロットも「中国政府の措置は来るべきものの前触れ」と先行きを不安とした。
  • 更に付け加えると、現下のCOVID-19の後には、世界地図には大きな変化がおき、最も影響を受けるのは、中国政府が進めてきたAIの分野という可能性も一部で指摘がされている…もちろん、中国はこの種の限界説を何度も乗り越えてきた。が、さて今回の限界説も乗り越えることができるか?

 

 注3:中国はタダ乗りか

  • 中国は、国連の理事国だし、FAO(国連食糧農業機関)、UNIDO(国連工業開発機関)、ICAO(国際民間航空機関)、ITU(国際電気通信連合)では中国人がトップを占めている。また、WHO(国際保健機関)でも前事務局長のチャン(Margaret Chan)は中国出身であった…先のWIPO(世界知的所有権機関)のトップ選挙にも中国人が立候補したが、これはシンガポール人が選ばれた。
  • 中国は、平和維持軍では第二の勢力であるし、エボラ熱や気候変動の対処のような国連の計画にも参加している。中国政府によれば一帯一路構想は地域経済の開発のためであり、AIIB(アジアインフラ投資銀行)を発足させた。タダ乗りどころか、以上は、中国が国際的役割を果たすための行動、であると。
  • しかし、現在、米国の識者(ソートリーダー)の中国への評価は厳しい。つまり国連、並びに諸機関、WTO(世界貿易機関)、世銀(World Bank)、IMF(国際通貨基金)は、米を始めとする西側諸国が作った国際的公共財と言える制度で、国連では拒否権という特権も有している割に貢献度は少ない。また、先のAIIBも、当初は世銀とは違う中国独自の公共財づくりかと見るものもいたが、現在では世銀に準じたものにすぎないに変わった。彼らは、FAO(国連食糧農業機関)、UNIDO(国連工業開発機関)、ICAO(国際民間航空機関)、ITU(国際電気通信連合)のトップハンティングは、欧米が作った公共財のタダ乗りだと見だしている。
  • 以上、今までのところ残念ながらキンドルバーガーの罠への危険性は多いと見ている…いずれにしろ、中国を正しく見極めることが今後の主課題となろう(たとえば、今回のCOVID-19 でのコロナ外交への評価も含め[9])。

 

日米での新たなエコシステムづくりへの条件

 日本のデジタルテクノロジー政策は出遅れた。皮肉であるが、日本がAI戦略を発表したのはカナダに次ぎ世界で2番目である(下図)。なぜ、このような現象が起きたのか。ここでは立ち入り議論しないが、筆者は理由の一つに、デジタルテクノロジーの本質を看過し、表面的にしかとらえてこなかった、があると思っている。AIで言えば、「AIシンギュラリティ説」、「AI雇用喪失説」に固執しすぎ、肝心の「AI汎用技術説」は無頓着、本格的な戦略論ではなかった、と。

  なお、これまで、数年にわたり日米の大学コンソーシアム[10]が、日米デジタルイノベーションハブづくりを進めてきた。これらコンソーシアムの目的の一つには論文・パンフレットからだけでなく、実際に共通した場でAI、5Gへの態度を学ぶ、であった。しかし

世界のAI戦略競争

https://medium.com/politics-ai/an-overview-of-national-ai-strategies-2a70ec6edfd

これまで見てきたように現下の状況は、日米の大学間は両国政府のより明確な指針のもとで、未来につながる場、パートナーづくりを目指す段階に来たと考えている。

幸いにも米側には、政府も含め、これを進める条件は出ている。彼らの間では既に中国のデジタルに対しての態度は固まりつつあり、更に戦略については彼らの最大関心事となっている。また、彼らの戦略の主体は決して中国との対峙、もしくは封じ込めにあるのではなく、それこそ「contest, compete, and collaborate」である。米国にとっても同じ価値を有する日本とのコラボレイトへの動きは多く出ている。これに日本側が対応することは、決して日本にとり悪いことではない。それどころか、これまでのデジタルテクノロジー政策の出遅れを取り戻すうえでも大変大事なことになる。ただ、そのためには、幾つかの日本側の課題がある。ここでは、あえて立ち入らないが、少なくとも、中国に何が起きていたかを評価し、汎用技術としてのデジタルテクノロジーの有する能力に対しても十分理解できる人たちを養成していく必要があろう。

なお、本来議論するべき量子コンピュータ、AIチップ、アカデミックセキュリティ(デジタル研究者のモラル等)は、本報告書から外した。理由は必要だが、ページ数が多くなりすぎる、がある。これらは今後取り上げていきたいと思っている。

最後に本報告書をまとめている間にコロナ禍が激化した。私たち人類は、この問題を解決する能力を間違いなく有している。そして、この問題は間違いなく多くの課題と新たな未来を私たちにもたらす。まず、課題としては、世界の区分分けは一層明確になるがあろう。新たな未来とは一層、人間が手にするデータ量は激増し、AI、5Gの深化は一段と進む。AIでは、ガバナンス、サーベイランスを含め確実に深化を遂げ、セキュリティや研究者の意欲やモラルが大事になるのである。私たち日本も後戻りが効かない未来への変容(transformation)に否応なく立たされる。

危機である。しかし、あえて言えばこれは日本にとってAI、5Gでの先行優位を確立すべき絶好の機会ともなる。つまり、西側(民主制)のために、もう一度日本が世界のチャンピオンと呼べるデジタルテクノロジーの企業づくりに積極的に取り組むチャンスでもある。ただし、これらは日本単独では不可能なことは言うまでもない。どのようなデジタルアライアンスが可能かを考える時がきた。

 

[1] 中国政府の国務院のMLP「国家中期科学技術開発プログラム(2006-2020)」。目標は2020年までに「イノベーション志向国」を達成、2050年には世界の科学技術のリーダー。

[2] 2017年のフォーリンアフェアーズに掲載されたタイトル。シャープパワーつまり鋭い力の内容とは、対象国の政治システムに影響を与え、弱体化させるために、あらゆる操作的外交を駆使する、の意。

[3] 海のシルクロード、あるいは中国と欧州を結ぶ「中欧班列」も進展。「中欧班列」は、2011年に重慶とドイツ・デュースブルク間で運行開始し、現在は重慶に加え、成都や西安、鄭州、武漢などそのルートは拡大。また開設当初、年間17本だった運行本数は、2018年末までの累計で1万2,937本に急増。

[4] 本当に強さと言えるかどうかは分からないが(筆者注)

[5] ロンドンのポートランド社のインデックス・・他のアジア勢は韓国が19位、シンガポールは21位。

[6] 立ち入らないが、中産階級の罠、さらにはタキトウス(Tacitus)の罠といったさまざまな限界論が中国の専門家でも議論されている。

[7] WILL KNIGHT、MITテクノロジーレビューの上級編集長。

[8] 楊強、彼は2013年7月に国際人工知能協会(AAAI)のフェローに選出された。彼はこの栄誉を受けた最初の中国人であり、2016年5月にAAAI実行委員会のメンバーに選出された。 8月、彼は国際人工知能連盟(IJCAI)の理事会の議長に選出され、IJCAIの理事会の議長を務めた最初の中国の科学者、テンセントが立ち上げたネット銀行WeBankでAIの責任者。

[9] Why China is losing the coronavirus narrative, Jamil Andelini, Financial Times, 自滅した中国コロナ外交、ジャミル・アンデリー、日経に転載。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58404760T20C20A4TCR000/

[10] 日本側のコア大学は筑波大学、東北大学、名古屋大学、九州大学、大阪大学、広島大学、慶応大学、上智大学等、米側のコア大学はJHU(ジョーンズホプキンズ)、メリーランド大学システム、オハイオ州立大学、アリゾナ州立大、パデュー大学、ミシガン大学、デラウェア大学、ワシントン大学(セントルイス)、テネシー大学、ノースカロライナ州立大学、ケースウェスターン大、オクラホマ大学等。日本側ではNEDO、JST等、米側ではNSF等が支援。