武田アンド・アソシエイツ 設立の目的

代表武田修三郎は30年余務めた東海大学工学部教授(光工学)を2005年3月に辞し、同年10月に有限会社武田アンド・アソシエイツを立ち上げた。

立ち上げに至る経緯:
東海大学在職中、1984年に米国コーネル大学平和研究所研究員(サバティカル)、1985年より1988年まで東京大学生産技術研究所研究員を兼務。さらに、1989年に東海大学を休職、米国ジョージ・ワシントン大学エリオットスクール(国際関係学科)の客員教授となり、その後、米国テネシー州立大学システムのラマー・アレキサンダー学長の下、学長特別補佐(同大学コンピュータサイエンス特別教授を兼務)を務めた。同大学では、研究だけにとどまらず、米大学のマネージメントについて学ぶ機会を得た。当時、テネシー州立大学のアレキサンダー学長(テネシー州元知事、その後、米連邦政府教育省長官。現在、共和党上院議員)は、米国の産学連携を推進していたが、武田は学長の代理として米産学フォーラム(BHEF)、また親委員会である米教育評議会(ACE)の会合等に出席し、米国における産学連携の実態について学ぶ機会を得た。なお、この原点は、テネシー州選出のハワード・ベーカー上院議員(元共和党院内総務・元駐日大使)に知遇を得たことにある。以後、武田は35余年にわたり、ベーカー上院議員に親炙、上院議員を通じてアレキサンダー学長をはじめ多くの米有力者と知己を持つことができた。また、米産学フォーラム、教育評議会等を通じて米大学の学長等と親交を深め、彼等の考え方を学ぶ機会を得てきた。

設立の目的:
1992年に米国より帰国、東海大学に復職し、親炙させて頂いた平岩外四元経団連会長の下で日本産学フォーラム(BUF)の立ち上げに参画。東海大学での研究・講義活動の傍らフォーラム事務局長を17年間務め、日本での産学連携の基礎作りに腐心した。その当時は、米国リーハイ大学アイアコッカ研究所のエグゼクティブ・アドバイザー等を兼務しながら米国との接点をもち続けたが、平岩会長の示唆を受け、また武田自身も大学人としての限界を感じて2005年3月に東海大学を辞職。新たな時代に活躍する人を育くむための場作りを目的に、武田アンド・アソシエイツを立ち上げた。


武田アンド・アソシエイツの主な活動概要

≪新たなデジタル時代の人づくり≫
学ぶ場としての産学連携:

武田は2009年に日本産学フォーラム事務局長は辞職したが、米産学フォーラム(BHEF)、米教育評議会(ACE)等との関係はその後も継続、会合に出席しフォーラムメンバー等と意見交換を続けている。米国で急激な深化を遂げたインターネット、AI、データアナリティックスがどのように米大学・産業界をトランスフォームさせていったか、つまり新たなデジタル時代への彼らの動き、デジタル・トランスフォーメーション(DX)を学ぶ必要があると考え、武田は彼等から現在も多くを学んでいる。

その他にも、米国オーリン工科大学の学長評議員、米国ワシントン大学(セントルイス)アジア評議員、米国オハイオ州立大学のエグゼクティブ・アドバイザーを務めてきたが、これ等も米国におけるデジタル時代の人づくりを学ぶ場であり、武田アンド・アソシエイツの活動に繋がっている。

なお、オーリン工科大学は、20年前にボストン郊外に工学教育の実験校を目指して新設された大学で、現在では全米だけでなく世界から高い評価を得ている。

日米デジタル・イノベーションハブへのコミット:
武田は安倍政権発足後の2013年に文部科学省参与に就任。国際化に遅れた日本の大学の向上、またインターネット、AI、サイバーセキュリティ等のデジタルテクノロジーにおける周回遅れの状態を取り戻す場として、日米デジタル・イノベーションハブ作りに取り組み推進してきた。 JST(国立研究開発法人科学技術振興機構)やNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)、米国ではNSF(米国国立科学財団、連邦機関)の後援のもと、日米の大学が協働で学べるプラットフォーム作りである。

日本の国立・私立大学8校(事務局は筑波大学)、米国のミシガン大学、オハイオ州立大学、パデュー大学、ワシントン大学(セントルイス)、ジョーンズホプキンズ大学、テネシー州立大学等の有力私立・公立大学が10校余り(事務局はオハイオ州立大学)が中核になっている。

文科省参与は2017年に辞したが、日米デジタル・イノベーションハブは、武田アンド・アソシエイツが取り組むテーマの一つとして推進している。

今後の目指す課題
日本は19世紀にアジアの中で唯一西欧に起きた近代科学を取り入れ、アジアをリードした。また、第二次大戦後には世界に先駆け、エドワード・デミング博士が提唱した理論をもとに、品質管理の手法を実用化し、モノづくりをリードし、日本に大きな繁栄をもたらした。しかし、今回のデジタル化の大きな流れの中で、なぜか日本は未だ周回遅れの状況にある。しかし世界は、欧米諸国だけでなく、中国・シンガポールをはじめとするアジアの国々もデジタル化を加速、進めている状況である。

日本は、国家として何が機能しなくなったのか?単に大学改革、経済改革といったレベルの問題ではなく、より深く日本人のマインドまで立ち入って検討すべき課題があると考えている。そのためには、米国はどのようなデジタル戦略を有したのか、また中国ではどうだったのか、単なるテクノロジー開発の戦略ではない視点、“日本人の思考の若返り戦略“と言ったものが不可欠だと考えている。  

戦後エドワード・デミング博士から学び、世界をリードし繁栄した日本がなぜ世界から遅れをとりだしたのか、ものづくりを越えたデミング博士の教えの本質を理解できる人づくりの重要性も問いかけたい。

また、これまでのアカデミックな研究者だけではなく、よりデジタルの第一線でビジネスに関わる人たちとの連携が重要であると確信。現在、若手の人づくりに腐心しているが(日本の戦略を考える交流の場、勉強会を主催)、今後、この方向に傾注する考えでいる。

関係する主な大学・企業
現在、名古屋大学参与、筑波大学学長特別補佐、理化学研究所経営顧問。また、マイケル・チャートフ元米連邦ホームランド(国家安全保障)省長官が創設したチャートフ・グループ(TCG)シニアアドバイザーとして、サイバーセキュリティの強化を学んでいる。

博士号(物理学)を取得したオハイオ州立大学(OSU)より、2018年度卒業生特別業績賞(Distinguished Alumni Achievement Award 2018)を受賞。現在、OSUのエグゼクテイブアドバイザー(オハイオ州立大学は、日米デジタル・イノベーションハブにおける米大学の中核の大学)。

なお、武田は1993年からワシントンDCのCosmos Clubのメンバーに在籍。Cosmos Clubは、米国を代表するメンバークラブでノーベル賞受賞者40名程を含め、研究者、政府関係者、法律家、米議会関係者等2000名のメンバーで構成されている。ここでも米国の中心にいる人たちから話を聞く機会を持ち続けている。