STUDY GROUP

日米デジタルイノベーションハブワークショップ
https://air.tsukuba.ac.jp/workshop2023/

無名塾
産官学をこえて、日本の将来を担う若手の人づくりの場として勉強会を2010年より武田アンド・アソシエイツが主催。混迷する世界情勢の下、急速に移り替わる大変革時代への方向とそれを推し進めるサイエンスと科学技術に関する最新の課題を取り上げ、産官学で議論し学ぶ場である。参加者各自が議論の内容について持ち帰り、各分野において日本の将来を考えると共に世界で活躍できる人づくりを目指しています

BHEF(米国産学フォーラム)
https://www.bhef.com/members
(The Business-Higher Education Forum)

<米国産学フォーラムとの関わりと米学長との出会い>
オハイオ州立大学で博士号(物理学1969 年 )を 取得 、1973 年に帰国。その後、東海大学工学部光工学科で長年教鞭をとっていたが、1990 年に サバティカル制度(アメリカの大学でとられている何年か教えれば一年間は大学を離れ勉強できる制度に準じたもの)を利用し 、アメリカの大学で研究、教鞭と大学経営を学ぶ機会を持ちました。その当時の私は 、大学人としての生き方に自分自身、何かおかしいと思い続けており、新たな学習の機会が心底欲しかったことに ありました。1984 年に短期間、コーネル大学のガバメント(公共経営)学部に在籍、その後 1990年から1992年にかけて東海大学を休職し 、ジョージワシントン大学のエリオットスクール(国際関係)で教え 、テネシー州立大学では 、研究担当の副学長 とコンピュータサイエンス特別教授に在籍しました。これは、ハワード・ベーカー共和党院内総務(後のベーカー駐日大使)との出会いによるものです。  この間に 米大学の経営を学ぶ かたわら、優秀な学部の教授等と知り合うだけでなく、コーネル大学ローズ学長、ジョージワシントン大学トラクテンバーグ学長、そしてテネシー州立大学アレキサンダー学長といったアメリカを代表する学長の方々との出会いがありました(特にトラクテンバーグ学長とは生涯の友人として付き合いをしており、アレキサンダー学長はその後、教育省長官を経て数年前まで上院議員(共和党)をされた )。  テネシー州立大学副学長の時に、アメリカでは大学の学長と企業のトップがフォーラムを作っていることを知り、この時に米産学 フォーラム(BHEF)に出席する機会を得ました 。その当時の経験は、拙著「デミングの組織論」の中に簡単に書いていますが、この米フォーラム会合で私は、デミングの名前を知ることになり、デミングの考えを学ぶきっかけとなりました。1992年に東海大学に復帰後、当時経団連会長をされていた平岩外四会長に日本においてもこのようなフォーラムの必要性の話をさせて頂き、その後、日本産学フォーラム(BUF)発足への動きとなりました(1992年~2009年まで事務局長として在籍)。