11月13日~15日 ハワード H. ベーカー上院議員生誕100周年記念行事に寄せて

Howard H. Baker上院議員(駐日米国大使) 生誕100周年記念行事がベーカー氏の出身地であるテネシー州立大学ベーカースクールで開催された。 ベーカースクールには、ベーカー大使と親交があったトヨタ自動車豊田章一郎名誉会長ご自身が寄贈されたトヨタ講堂がある。11月13日には日米のプログラムが組まれ開催された。

私は行事に参加できなかったが1990年から1992年にかけてテネシー州立大学学長特別補佐(当初Lamaer Alexander学長、その後 Johnson学長)として在籍した経緯があり、ベーカースクールに送ったメッセージの一部を掲載するがベーカー上院議員(大使)の偉業と日米の絆を継続させる場であることも知らせたい。

https://baker.utk.edu/news-and-events/

<メッセージの一部>

偉大な政治家であったベーカー上院議員への心からの感謝と敬意をお伝えしたくメッセージをお送りします。

私がベーカー上院議員に初めてお会いしたのは、彼がちょうど上院を引退する直前のことでした。ホワイトハウス近くのヘイ・アダムス・ホテルで早朝の朝食を共にし、それが長く深い交流の始まりとなりました。その朝、彼の言葉を今でもはっきりと覚えています。「私は再選を目指さない。これからの人生を日米関係に捧げたい」。私はためらうことなく答えました。「ぜひ、そうなさってください」。それが私たちの友情の始まりであり、私にとっては同時に、彼から学ぶ長い年月の始まりでもありました。私は彼の友人であると同時に、生徒でもあったのです。

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私が最も尊敬していたことは、ベーカー上院議員の「人の話を深く、忍耐強く聞く姿勢」と「穏やかな知恵」でした。彼は私にこう教えてくれました。 「まず、聞くこと、そして質問すること」。
あるとき彼は、最初の判断の重要性をこう説明しました——「運命の女神には額に髪があり、後ろにはない」。つまり、機会は通り過ぎてしまえば、もうつかめないと。彼がニクソン元大統領の話をされた時でした。この言葉は、以来、私の考え方の指針となりました。

私がテネシー州立大学学長特別補佐に就任した際には、彼と夫人が温かく迎えてくださいました。ハンツビルの自邸にあるゲストハウス(かつてレーガン大統領も宿泊された場所)に、3度滞在しました。夜には、彼の側近たちとともに、政治・科学・エネルギー・外交について彼の寝室で夜更けまで語り合ったものです。

その後も私は、ベーカー・フォーラムやベーカー研究所の設立などを通じて彼の理念を支援し続けました。設立に際しては豊田章一郎会長等が支援され、現在も「トヨタ講堂」がその絆の象徴として残っています。また、ベーカー氏は、私をオークリッジのアルヴィン・ワインバーグ博士やテネシーバレー開発公社(TVA)の方々に紹介してくださり、常に「協働と未来志向の研究の重要性」を強調されていました。

今日、ひとりの日本人として、私はベーカー・スクールの学生たちに伝えたいことがあります。私たちは、ベーカー上院議員から多くを学びました。彼は、民主主義とは対話であり、同盟とは信頼であり、リーダーシップとは謙虚さと傾聴であると信じていました。彼は、まさに真の意味での「ステイツマン(国家的指導者)」であり、力ではなく誠実さによって人々を結びつける人物でした。

いま、日本では、高市早苗首相のもとで新しい時代を迎えようとしています。私は、彼女がビジョンと楽観をもって国を導くと信じていますが、その姿勢はまさにベーカー上院議員が信じた「民主的なパートナーシップ」と「共有する価値観」を体現するものです。

ベーカー上院議員が私たちに智慧をもって導いてくださったように、今日の指導者たちも彼の精神を受け継ぎ、日米同盟の未来を形づくっていってほしいと願っています。ベーカー・スクールが次世代のリーダーを育てる「光」となり、この生誕100周年が、UTK・オークリッジ・TVA・そして日本の大学・研究機関とのさらなる連携の呼びかけとなることを心から願います。  最後に、ベーカー上院議員が生涯をかけて体現した価値―超党派の協調、公平さ、そして国際的理解―を私たち自身の手で育み続けていきましょう。

武田修三郎