『デミングの組織論-「関係知」時代の幕開け』

タイトル:『デミングの組織論-「関係知」時代の幕開け』
(東洋経済新報社 2002年)


私は、1980年代末に、アメリカでの大学に戻りました。
当時東海大学の先生をやっている時に、サバティカル制(アメリカの大学でとられている何年か教えれば一年間は大学を離れ、
勉強できる制度に準じたもの)があり、それを利用しました。
その一方、当時、私は大学人としての生き方に何かおかしいと思い続けており、新たな学習の機会が真に欲しかったことがありました。
結局、その後東海大学を休職しコーネル大学のガバーメント(公共経営)学部に在籍、
またその後、ジョージワシントン大学のエリオットスクール(国際関係)で教え、
テネシー大学では(研究担当)副学長兼コンピュータサイエンス特別教授につきました。
この間に、各学部の優秀な教授だけでなく、コーネル大学ローズ学長、ジョージワシントン大学トラクテンバーグ学長、
そしてテネシー大学アレキサンダー学長といったアメリカを代表する学長の方々との出会いがありました。
(特に、トラクテンバーグ学長とは生涯の友人として付き合いをしており、またアレキサンダー学長もその後、
教育省長官を経て上院議員(共和党)につかれていますが、今も時々にお目にかかっています)。

その当時、アメリカでは学長と企業のトップがフォーラムを作っていることを知り、私自身もそのような場に出席しだした。
これがきっかけとなり、東海大学に復帰後、当時経団連会長をされていた平岩外四会長に、
日本にもこのようなフォーラムの必要性の話をさせて頂き、その後、日本産学フォーラム発足への動きとなりました。
さて、「デミングの組織論」のことですが、テネシー大学当時、
大学内外の人たちから品質管理やそれを戦後の日本に伝えたデミングについて多くの質問を受け、
この時初めて、品質管理とは何か、デミングがどのような考えをもっていたのか、また、この時の日本人たちは、
デミングの教えにどう反応したのか、日本が達成した高度成長との関係は、といったことを学びました。
デミングの概念の勉強は日本に帰ってからも続き、その全容がわかってくるにつれ、
戦後の日本の高度成長の理由がここにあったと考えだしました。

しかし、その後日本でガラパゴス化がおきたのは、デミングの概念の深さを知らず、これを単に道具や手段として受けとめだしたことにある、と。
このことについて、3年前に私は興味ある経験をしました。私の知人にノキアの女性幹部がいて、当時のノキアは飛ぶ鳥を落とす勢いだったのですが
彼女から、トヨタの関係者を紹介してくれないかと言う話でした。
彼女はノキアで品質管理を担当し、更にトヨタから学びたいというので、
私はそれはデミングの考えをより深く学ぶべきだ、と話したところ、彼女は、
いやデミングの考えは概念だけで、トヨタはそれをちゃんと手段化した、だからトヨタとの接点を持ちたいと主張しました。
日本とフィンランドは共通点があるとよく言われますが、彼らもデミングの考えの深遠さに気づかなかったのか、と。
その時の私は、漠然とですがノキアの限界を感じました。
何れにしろ、私はデミングの概念を世界に先行して導入した日本人たちを20世紀にでた“フロニーモスたち”と考えました。
この考えは今も変わっていません。有り難いことに、京都大学の松本総長が拙著を知性を研ぐために必要な古典の中に入れて頂きました。
現在絶版となっていますが、武田アンド・アソシエイツにまだ20部ほどあり、ご注文いただければお送りします。